主な但馬地域出身者  ※但馬・理想の都の祭典 (平成6年度開催) 資料から作成
氏  名 年  代 区 分 出身地 功   績   等 よみがな
天日槍 『古事記』等に登場する伝説上の人物。朝鮮から渡来。但馬開拓の祖。 あめのひぼこ
田道間守 天日槍の子孫。10年かけ貴重な果実を求め旅した。お菓子の神様。 たじまもり
沢庵和尚 1573〜1645 僧 侶 出石町 幕府に仏道の自由を主張。大徳寺住職。宮本武蔵の師。 たくわんおしょう
石束 源五兵衛 1641〜1713 武 士 豊岡市 豊岡藩の家老。大石りくの父。 いしづか げんごべい
大石 りく 1668〜1736 豊岡市 忠臣蔵で有名な大石内蔵助の妻。良妻賢母の手本とされた。 おおいし りく
西村 茂佐衛門 不明 農 民 関宮町 元禄年間に農村歌舞伎舞台を創建。葛畑地区を地狂言の里とする。 にしむら もざえもん
上垣 守国 1753〜1808 養蚕家 大屋町 養蚕技術を広める。著書「養蚕秘録」は翻訳され、日本の技術輸出の第1号となる。 うえがき もりくに
正垣 半兵衛 1770〜1847 養蚕家 大屋町 新しい蚕種を但馬各地に普及。 しょうがき はんべえ
市原 惣兵衛 1774〜1835 製針業 浜坂町 みすや針を興し、浜坂を日本一の針の生産地とする。 いちはら そうべえ
上田 広甫 1791〜1861 華道家 日高町 華道未生流2代目家元。未生流の基盤を築く。 うえだ こうほ
前田 周助 1798〜1872 農 民 美方町 但馬牛の血統を固定。私財を投入して「周助蔓」を生み出す。 まえだ しゅうすけ
松岡 新右衛門 不明〜1762 農 民 山東町 幕府権力と闘った義人。農民の代表・但馬の義人。江戸に出立し勘定奉行に直訴。 まつおか しんうえもん
斉藤 畸庵 1805〜1883 南画家 城崎町 幕末・明治の南画家。「那智群山図」(温泉寺蔵)。 さいとう きあん
池田 草案 1813〜1878 儒学者 八鹿町 青谿書院創設。明治の日本を支えた人材を育成。但馬聖人。 いけだ そうあん
田中 河内之介 1815〜1862 志 士 豊岡市 勤王の志士。寺田屋事件で捕らえられる。 たなか こうちのすけ
安積 楽之助 1826〜1872 学 者 和田山町 和田山に自成軒を開く。青谿書院出身。 あづみ らくのすけ
多田 弥太郎 1826〜1864 志 士 出石町 生野の変に参加。 ただ やたろう
藤本 市兵衛 不明〜1879 学 者 八鹿町 生野に明徳館を開く。青谿書院出身。 ふじもと いちべえ
広戸 甚助 不 明 商 人 出石町 出石の商人。桂小五郎の逃亡を援助。 ひろと じんすけ
北垣 国道 1836〜1916 政治家 養父町 維新に参加。京都府知事、琵琶湖疎水等を完成。北海道長官等歴任。青谿書院出身。 きたがき くにみち
加藤 弘之 1836〜1916 教育者 出石町 初代東京大学綜理。日本で最初の博士号を取得。 かとう ひろゆき
堀田 瑞松 1837〜1916 彫刻家 豊岡市 サビ止め塗料を開発。わが国専売特許第1号を取得。 ほった ずいしょう
森  周一郎 1838〜1920 学 者 浜坂町 浜坂に味道館を開く。青谿書院出身。 もり しゅういちろう
北村 寛 不 明 学 者 養父町 八鹿に山陰義塾を開く。青谿書院出身。 きたむら ひろし
久保田 精一 1842〜1891 学者 豊岡市 豊岡に宝林義塾を開く。青谿書院出身。 くぼた せいいち
原  六郎 1842〜1933 銀行家 朝来町 維新に参加。明治時代の経済界の先覚者、横浜正金銀行頭取。青谿書院出身。 はら ろくろう
桜井 勉 1843〜1931 政治家 出石町 博学多才の行政家。徳島・山梨・台湾新竹知事を歴任。出石焼を育成。 さくらい つとむ
西村 哲二郎 1845〜1867 志 士 八鹿町 生野の変に参加のち倒幕軍に加わる。青谿書院出身。 にしむら てつじろう
木村 熊二 1845〜1927 教育者 出石町 桜井勉の弟。明治女学校や小諸義塾の創設者。 きたむら くまじ
橋本 龍一 1846〜1894 製糸業 但東町 但馬で養蚕製糸業の近代化に努力。 はしもと りゅういち
中江 種造 1846〜1931 鉱業家 豊岡市 豊岡上水道の工費を寄付。 なかえ たねぞう
久保田 譲 1847〜1936 政治家 豊岡市 文部大臣。近代教育制度の基礎づくりに貢献。教育者。池田草庵に学ぶ。 くぼた ゆずる
吉村 寅太郎 1848〜1917 教育者 豊岡市 近代教育制度の基礎づくりに貢献。池田草庵に学ぶ。 よしむら とらたろう
浜尾 新 1849〜1925 教育者 豊岡市 文部大臣。東大総長(二期)。東大の母といわれる。池田草庵に学ぶ。 はまお あらた
浜本 治郎市 1851〜1924 漁 民 香住町 長熙とともに香住港近代化に努力。 はまもと じろういち
沖野 忠雄 1852〜1924 技術者 豊岡市 我国の治水の草分け。 おきの ただお
池田 謙三 1854〜1923 銀行家 出石町 国立第百銀行頭取。 いけだ けんぞう
松井 昇 1854〜1932 洋画家 出石町 「明治美術会」を結成し、美術界を代表する洋画家として活躍。 まつい のぼる
河本 重治郎 1859〜1938 医学者 豊岡市 東大眼科学教室主任教授。日本近代眼科の父。池田草庵に学ぶ。 こうもと じゅうじろう
小倉 寛一郎 1859〜1945 製糸業 大屋町 養蚕製糸業の近代化に努力。大屋町で明治期に工場開設。 おぐら かんいちろう
長   熙 1859〜1978 漁 民 香住町 漁民による基金を設立、香住漁港の近代化を推進。 ちょう ひろし
和田垣 謙三 1860〜1919 教育者 豊岡市 辞典編纂の功労者。 わだがき けんぞう
猪子 止戈之助 1860〜1944 医学者 豊岡市 京都大学 いのこ かのすけ
古島 一雄 1865〜1952 政治家 豊岡市 衆議院議員、貴族院議員。戦後総理大臣の進退に関わった政界の指南番。 こじま かずお
小坂 象堂 1870〜1899 洋画家 出石町 日本美術院の合同展覧会に出品し注目される。東京美術学校助教授。「野辺図」。 こさか しょうどう
斎藤 隆夫 1870〜1949 政治家 出石町 戦前、軍部の台頭に対する粛軍演説で有名な不屈の政治家。 さいとう たかお
白瀧 幾之助 1873〜1960 洋画家 生野町 日本洋画界の黎明期に活躍。生野三巨匠の一人。帝展審査員。「稽古」。 しらたき いくのすけ
田尻 松蔵 1873〜1961 農 民 美方町 前田周助の後を受け、但馬牛を育成。 たじり まつぞう
前田 純孝 1880〜1911 歌 人 浜坂町 東の啄木・西の翠渓と称され薄幸の歌人。文芸誌「明星」で活躍。 まえだ すみたか
近藤 朔風 1880〜1915 訳詞家 出石町 明治時代の代表的な歌曲訳詞家。のばら・菩提樹など。 こんどう さくふう
梅谷 光貞 1880〜1936 政治家 養父町 山梨県・長野県・台湾新竹知事を歴任。退官後は移民事業を指導。 うめたに みつさだ
宿南 昌吉 1882〜1909 医学者 八鹿町 京都大学の学生時代、獅子止戈之助に師事し医学を学ぶ。 しゅくなみ しょうきち
和田 三造 1883〜1967 洋画家 生野町 日本洋画界の黎明期に活躍。生野三巨匠の一人。帝展審査員。「南風」。 わだ さんぞう
青山 熊治 1886〜1932 洋画家 生野町    〃             。〃           。〃      。「高原」。 あおやま くまじ
長  耕作 1887〜1926 漁 民 香住町 父長熙の意志を継ぎ、香住漁港を修築。 ちょう こうさく
藤原 東川 1887〜1966 歌 人 和田山町 ふるさとの農民歌(短歌)。田園歌人、初代和田山町長。 ふじわら とうせん
赤木 正雄 1887〜1972 政治家 豊岡市 砂防の神様。円山川治水事業等。土木技術者。貴族院・衆議院議員。 あかぎ まさお
柴田 勝太郎 1889〜1975 化学者 山東町 尿素肥料の開発者。 しばた かつたろう
岡垣 徹治 1890〜1968 歌 人 浜坂町 アララギ派の歌人として活躍。初代豊岡高等学校校長 おかがき てつじ
谷角 日沙春 1893〜1971 画 家 浜坂町 大正7年に第12回文展に入選し、注目をあびる。「孤高の天才画家」。 たにかど ひさはる
太田垣 士郎 1894〜1964 実業家 城崎町 関西電力(株)社長。社運をかけ「黒部第四発電所」を建設。関西経済連合会会長。 おおたがき しろう
和田 完二 1896〜1968 実業家 竹野町 丸善石油(株)社長。石油業界の大物実業家。 わだ かんじ
加藤 文太郎 1905〜1936 登山家 浜坂町 孤高の登山家。新田次郎「孤高の人」のモデル。 かとう ぶんたろう
京極 杞陽 1908〜1981 俳 人 豊岡市 高浜虚子に師事し「ホトトギス」同人。「木兎」主宰。 きょうごく きよう
東井 義雄 1912〜1991 教育者 但東町 「村を育てる学力」を発表。昭和のペスタロッチといわれた。 とおい よしお
前田 俊夫 1920〜1988 人形家 関宮町 一時期衰退していたひな祭用の伝統的土人形を復活。 まえだ としお
植村 直巳 1941〜1984 冒険家 日高町 世界の冒険家。世界初5大陸最高峰登頂。 うえむら なおみ